WHITE FAIRY(SNOW)「白い妖精」
QY100 Original(自作)完全版
QY100 Original(自作)完全版
この作品は1964年(昭和三十九甲辰年霜月)に作つた曲です。
始めはこれほど長い曲ではなく、二部形式の簡單なもので、「A」を發展させて殘つた「B」の部分は「Trio」に用(もち)ゐてゐます。
曲を作る時、詩と一緒にメロデイが浮ぶ事が多く、それは今でも變りがありません。
その詩も掲載しますが、最初の題名が「白い小人」といふものでした。
けれども、「小人」といふ表現は今では問題があるやうで、曲名は「妖精」の方が良いのではないかと思つて改めましたが、詩の方はもとのままを掲載し、英語でMIDGET若しくはDWARF(どちらも「小人」の意味でデイズニイの『白雪姫』の七人の小人は「SEVEN DWARFS」になつてゐる)とせず、FAIRY(妖精)としますのでお許し下さい。
事の序(つい)でに言ひますと、この作品は杜斯退益夫斯基(ドストエフスキイ・Dostoevskii・1821-1881)の『白夜』がヴイスコンテイ監督によつて映畫化され、それを見て日本の北海道を舞臺にして映畫を撮影したらと考へ、その時の音樂にと作曲したものです。
この外に、
『孤獨・出逢ひ・焚火・白夜』
等があり、いづれ發表したいと思ひます。
ところで、映畫を撮影する時は勿論チヤツプリンよろしく筆者が主演を務めるつもりでした。
何しろ、まだ若かつたものですから......。
降る雪も隱し切れずや鹿苑寺 不忍 しのばず arr.高秋美樹彦
二〇一一年十二月二十日午前四時半
白い小人
白い小人は
踊つてつもる
やさしく
やさしく
野山につもる
白い小人は
踊つてつもる
銀の世界に
かへながら
やさしく
やさしく
つもる雪
僕らと別の
世界のやうに
窓の外から
僕らの家の
樂しさを
しづかに
見守つて舞ふ
白い小人は
やさしい天使
踊つてつもるよ
野に山に
第二詩集『生鮮(FRSH)』より
一九六四昭和甲辰(きのえたつ)年霜月十九日(木)
追 記
この作品の映像は「雪の金閣寺」の映像を求めて二〇一一年の一月に出かけましたが、思ふやうに雪が降つてゐなかつたので、再び二月十二日(土)に金閣寺へ出かけ、雪見には大した成果もないので銀閣寺まで足を延ばし、それでも滿足のゆく雪景色が撮影できないので、思ひ切つて兼ねてから行きたいと願つてゐた「余呉湖」へ行く決心をした。
余呉湖は、芭蕉の弟子の路通が、
鳥共も寢入つてゐるか余吾の湖 路通
と詠んだ處で、この句は筆者のお氣に入りの作品である。
彼は乞食路通と言はれて芭蕉の他の弟子から嫌はれてゐたらしかつたが、師である芭蕉は分け隔てなく接してゐたとの事である。
句意は、琵琶湖の北方にあり、まるで琵琶湖が賤ヶ岳によつて切り離されたやうな湖……琵琶湖の餘りであるやうな意味を與(あた)へられた余呉湖に、人氣のない暮れ方にひとり行く當てもなく彷徨(さまよ)つてゐた路通はふと湖を見渡すと、そこには何處へ行つたのかさつきなでゐた水鳥の姿は見當らない。
きつと巣に歸つてゐるのだらう。
あの鳥でさへ歸る塒(ねぐら)があるのに、自分には歸る處もなく一生をさすらひ續けて行くのだといふ命の絶唱とも言へる諦觀。
芭蕉はこの句を「細みあり」と言つてゐる。
「細み」とは、自身も含めた生命に對する思ひやりのことであらうかと思はれる。
まさに彼の「白鳥の歌」ともいへる作品かと胸に刻んでゐる譯なのである。
この鳥は「浮寢鳥(うきねどり)」といふ水鳥だと言はれてゐて、季語は冬で、水鳥でも同じ事である。
しかし、それでも余呉湖に雪は降つてゐず、雪が降る景色の撮影は出來なかつたが、僅かに一面に積雪した光景はビデオに収める事が出來たのが、せめてもの救ひであつた。
二〇一一年十二月二十六日午前四時四〇分 店にて
この作品の映像は「雪の金閣寺」の映像を求めて二〇一一年の一月に出かけましたが、思ふやうに雪が降つてゐなかつたので、再び二月十二日(土)に金閣寺へ出かけ、雪見には大した成果もないので銀閣寺まで足を延ばし、それでも滿足のゆく雪景色が撮影できないので、思ひ切つて兼ねてから行きたいと願つてゐた「余呉湖」へ行く決心をした。
余呉湖は、芭蕉の弟子の路通が、
鳥共も寢入つてゐるか余吾の湖 路通
と詠んだ處で、この句は筆者のお氣に入りの作品である。
彼は乞食路通と言はれて芭蕉の他の弟子から嫌はれてゐたらしかつたが、師である芭蕉は分け隔てなく接してゐたとの事である。
句意は、琵琶湖の北方にあり、まるで琵琶湖が賤ヶ岳によつて切り離されたやうな湖……琵琶湖の餘りであるやうな意味を與(あた)へられた余呉湖に、人氣のない暮れ方にひとり行く當てもなく彷徨(さまよ)つてゐた路通はふと湖を見渡すと、そこには何處へ行つたのかさつきなでゐた水鳥の姿は見當らない。
きつと巣に歸つてゐるのだらう。
あの鳥でさへ歸る塒(ねぐら)があるのに、自分には歸る處もなく一生をさすらひ續けて行くのだといふ命の絶唱とも言へる諦觀。
芭蕉はこの句を「細みあり」と言つてゐる。
「細み」とは、自身も含めた生命に對する思ひやりのことであらうかと思はれる。
まさに彼の「白鳥の歌」ともいへる作品かと胸に刻んでゐる譯なのである。
この鳥は「浮寢鳥(うきねどり)」といふ水鳥だと言はれてゐて、季語は冬で、水鳥でも同じ事である。
しかし、それでも余呉湖に雪は降つてゐず、雪が降る景色の撮影は出來なかつたが、僅かに一面に積雪した光景はビデオに収める事が出來たのが、せめてもの救ひであつた。
二〇一一年十二月二十六日午前四時四〇分 店にて