黒澤明監督の映畫『生きる』
この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
これは自作(オリジナル)の
『Motion1(Cembalo)』
といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
映像は服部緑地にある、
『天竺川堤防』
へ出かけた時のものです。
雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。
黒澤明監督の映畫『生きる』
一般に黒澤明の作品は、一九四〇年から五〇年に掛けて制作されたものには評價(ひやうか)が高いが、それ以降の『影武者・乱』、或は『夢・八月のラプソディ』、さうして『まあだだよ』に到つては、評價が捗々(はかばか)しくないやうである。
ところが黒澤明の作品に關しては、常に一貫したものが流れてゐて、ある見方をすれば、彼の作品の難解さが忽(たちま)ち氷解して、その主題(テエマ)がくつきりと現れて來るのが解るし、それは何も黒澤明ひとりに限つた事ではなく、一流と言はれてゐる監督の作品ならば、總(すべ)てその見方をすれば、同じやうに優れてゐる事が解る筈である。
煎(せん)じ詰めれば、その見方とは數學の問題を解く公式のやうなものであると言へ、それをこれから紹介する『生きる』で證明したいと思ふが、黒澤監督の場合は、映畫の構成として樣式美を大切にしてゐるので、批評家はそちらの方にばかりに眼が行つてしまふやうである。
しかし、樣式美は形式と同義語だから、餘(あま)りそれに拘泥するのは感心出來ない。
寧(むし)ろ、問題にしなければならないのは、内容の方である。
で、この『生きる』といふ映畫は、昭和二十七(一九五二)年に制作され、伯林(ベルリン)映畫祭で銀熊賞を得た作品であるが、冒頭の市役所の市民への對應(たいおう)や、息子夫婦が親に接する態度を、今改めて觀てもそれ程古びた印象はなく、却って今日的な主題を扱つてゐるのに驚かされる。
後半の主人公が死んだ葬式の場面では、伊丹十三監督の『お葬式』が、この映畫を暗示(ヒント)にして戯畫化(カリカチユアライズ)したのではないかとおもはせる程に、構成と言ひ、映像表現技術(カメラワアク)と言ひ、將(まさ)に壓卷(あつくわん)である。
實際(じつさい)、「天皇」黒澤と呼ばれる彼の作品には、他の國の映畫監督までがお手本にして、亞米利加(アメリカ)映畫『荒野の七人』などは、『七人の侍』の謂はば飜譯ものである事は有名な話である。
尤も、彼にしても小説(主に筆者も氣に入つてゐる山本周五郎の作品が目立つ)や沙翁(シエエクスピア)の戯曲を映畫化してゐるのだから、同じと言へばさうかも知れないし、特別大した意味がある譯ではないが、映畫を原作にして映畫を制作してゐるのでない事は確かであらう。
當然(たうぜん)、どんな方法であれ、優れた作品であるならば、觀る側にとつて文句はないのだが……。
扨(さて)、『生きる』の物語は極めて單純で、市役所に勤務する初老の男が「癌」だと知らされて、これまで自分は本當に生きてゐたと言へるのかと惱み、『生きる』とは何かを問ひ、その結果、生きてゐた證(あかし)としてこの世に何かを殘さうと考へ、公園を造る事に全精力を傾け、それが成遂げられた後に、この世を去るといふものである。
それを骨子として、映畫は主人公のレントゲン寫眞(しやしん)から始まり、
「この男は死んでゐる」
といふ解説(ナレエシヨン)とともに、市役所の市民課長として勤務する主人公の現在が示され、來る日も來る日も判子(ハンコ)を押すばかりの仕事に明け暮れる、煩雜な仕事場の風景が描かれる。
そこへ市民から、
「溝川(どぶがは)をなんとかして欲しい」
と訴へて來るのだが、やれ下水課だ、公園課だとぐるぐる盥廻(たらひまは)しにされて、これでは駄目だと有力者と目される市會議員に頼つた擧句(あげく)の果に、元の市民課へ辿り着くといふ皮肉な結果となつて、結局、その訴へも山積みされた多くの文書の容積を増やしただけ、といふ事になつてしまふのである。
軈(やが)て、主人公は病院へ行き、醫者から「癌」ではないと言はれ、さう言はれれば言はれる程自身の病状を悟り、息子夫婦にそれを告げようとするのだが、若い二人にとつて重要な事は自分達だけの甘い生活だけで、主人公である父親の退職金を當(あ)てにして、それで二人だけの巣を作らうと、蟲の良い事を考へてゐる始末であつた。
主人公は早くに妻を亡くしたので、親戚からは、
「子供が大きくなつたら相手にされなくなるから、今の内に再婚しろ」
と勸(すす)めてくれたのだが、子供の事を考へてそれをしなかつた許りか、子供に老後を預けたやうな鹽梅(あんばい)であつた結果の爲體(ていたらく)であつた。
主人公は働く意慾も失せ、一日中遊び呆(ほう)ける毎日を過ごすやうになるのだが、そこへ同じ課に勤めてゐた「小田切みき」扮する若い女性が、
「こんな何も産み出せない退屈な職場は、嫌だ!」
と言つて、退職を告げに來る。
監督は、その二人を目撃したお手傳ひと若夫婦に、父親が愛人を圍(かこ)つたと早合點をさせる事で、遺産問題にも輕(かる)く觸(ふ)れるのである。
主人公はその娘と幾日かを樂しく遊び廻るのだが、娘はさつさと仕事を見つけ、主人公は喫茶店で娘との最後の別れの時、自分の爲(な)す可き事を把(つか)み、公園造りに邁進するのである。
ここから主人公は死んでしまひ、後はそれを取卷く人々が集まつた葬式の席で、主人公を語る事によつて結果報告がなされ、主人公が「癌」であつた事を知つてゐたかどうかを、探偵小説のやうに解(と)いて行くのであるが、ここに到るまでに屈託のない娘が、生産性ない退屈な市役所を辞めた後も、初老の主人公と附合(つきあ)ひつつ、仕舞ひにはうんさざりして喫茶店で會ふ場面が最も面白く、この件(くだり)を説明すれば、娘は周圍に二人組(カツプル)で幸せさうに時間を過してゐるのを自分の事のやうに喜び、また羨ましくもあつたが、いつかは自分もといふ複雜な氣持でそれを見てゐた。
しかし、目を前の席に向けると、途端に初老の男しかゐない現實に顏を顰(しか)めながら、退屈さうにしてゐるのである。
喫茶店は二階にあつて、階段を挾(はさ)んで左右に振分けられてをり、二人は階段の右側の窓際に腰掛けてゐるのだが、そこから階段を隔てた左側の部屋の樣子も窺ふ事が出來、そこには貸切で誰かを祝はうとしる會合(パアテイ)の會場のやうで、若い男女達が忙しさうに立振舞つてゐる姿が目に止まる。
かういふ設定の中で、主演の「志村喬」が迫眞の演技で主人公を演じ、冒頭の市民からの要望である公園造りといふ目的を見つけるのであるが、これは一種の再生物語であるから、新たな人格の誕生でもあり、それを映像で表現する爲に、黒澤演出が光り出し、主人公は一時(ひととき)を惜しむやうに、休んでゐた市役所へ向ふ可く階段の方へ急ぐと、向ひ側の喫茶室の人々も階下に主賓が現れたのに氣附き、階段へと集り、一轉(いつてん)、場面(カツト)は階下の階段から二階を見上げる畫像(シヨツト)に變り、二階から誕生日を迎へた階下の女性へ、
「誕生日お目出度う(ハピイ・バアスデイ・トウ・ユウ)」
と歌ひかけるのであるが、けれども、その時點で誕生日の主賓である女性の姿は畫面には現れず、その歌聲は、恰も初老の「癌」に見舞はれた男を祝福するやうに響き、その儘(まま)主人公が畫面から消え去るのと同時に、主賓の女性が出現して階上へ驅上がつて行くところで暗轉し、その演出の妙を發揮するのである。
これが凡庸な監督なら、
「彼は生れ變つたのであつた」
とかなんとか言つて、解説(ナレエシヨン)で濟ましてしまつたかも知れない。
これは映畫ではなく、まるでラヂオででもあるかのやうに……。
ここまで話して理解出來たと思はれるが、彼の作品の本質は、本來、挿話(エピソオド)主義で、幾つもの挿話を積重ねながら大きな物語(ドラマ)に仕上るといふ作風であり、その意味では、山本周五郎が好みであるといふのも頷けるだらう。
周五郎も『青べか物語・季節のない街』といつた作品があり、挿話(エピソオド)によつて大きな物語とする手法が得意な作家であるが、これは挿話を短篇小説と見立てれば、いくつかの短篇を寄せ集めて長篇小説にするといふ方法と同じになつて、謂(い)はば竝話統合形式(オムニバス)といふ事が言へるだらう。
しかし、彼の卓越した部分はそれだけでに留まらず、これまで仕事一途だつた主人公が、これからは自らも樂しい人生を過ごさうといふ決意をし、その心理状態を表す手段として不釣合ひな帽子を、「癌」で餘命幾許(よめいいくばく)もない初老の男の頭に乘つけるといふ、小道具に到るまで細心の注意が拂はれてゐる事も忘れてはならないだらう。
さうして、映畫は音樂や會話も重要だが、なんと言つても映像で總てを解らせるべきだといふ姿勢が、黒澤明の素晴しい處(ところ)と言へるだらう。
莫差特(モオツアルト)の一七八一年八月一日附けの父親に當(あ)てた手紙に、
『アリアの展開で(略)「だから預言者の髯にかけて(大三曲)」はテンポは同じでも速い音符ですし、その怒りがつのるにつれて――アリアがもう終るかというころに――アレグロ・アッサイがまったく別なテンポと、別な調性になるので、正に最高の効果をあげるに違いありません。じっさい、人間は、こんなに烈しく怒ったら、秩序も節度も目標もすべて踏み越えて、自分自身が分らなくなります。音楽だって、もう自分が分らなくなるはずです。でも、激情は、激しくあろうとなかろうと、けっして嫌悪を催すほどに表現されてはなりませんし、音楽は、どんなに恐ろしい場面でも、けっして耳を汚さず、やはり楽しませてくれるもの、つまり、いつでも音楽でありつづけなければなりませんので、ぼくはヘ長調(アリアの調)に無縁な調ではなく、近親調のある調、しかし、ごく近いニ短調ではなく、もう少し遠いイ短調を選びました(原文)」(柴田治三郎編訳 モーツアルトの手紙(下) 岩波文庫より)』
といふ部分があるが、それは繪(ゑ)は文字や音樂に頼らず線と色で、文字は音樂や繪によつて理解されるのではなく文字で、また、音樂は文字や繪によつて納得されるのではなく、音樂そのものとして成立してゐなければならない、といふ極(ご)く當(あた)り前の事を心得てゐなければならない事を示唆(しさ)してゐるやうに、黒澤作品にも、映畫は映像で表現される可きものだといふ主張を見て取る事が出來る。
なんでも、
『日本映画ベスト150(文春文庫)』
によれば、この『生きる』といふ映畫の事ではないが、
「夏の設定である場面を冬に撮影したので、役者の吐き息が白く写ってしまい、氷を口に含ませ、冷やしておいてからカメラを回したり、そこでピシャリと蚊を叩く降りをして、観客に目をそちらへ逸(そ)らさせたりした(原文)」
といふぐらゐだから……。
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